2018年6月23日土曜日

【デビュー22年目の夏休み】

技術が蓄えられ、知識が増えると、技術や知識だけで書いてしまうようになる。
知らず知らずのうちに、だんだんと感性に欠けた執筆になってしまうことが、一番怖い。
感性が豊かに「みえる」文章を書いてしまってはよくない。
技術と知識があれば、ある程度、それっぽく書けてしまう。
ここ数年、それがずっと懸念材料であった。

筆力がつけばつくほど、それに頼るせいで、自分本来の感性が置き去りにされてしまうということがある。
感性を発揮し続けるには、感性を刺激せねばならない。
そのためには、未知の体験を己にぶつけてやるのが一番いい。
未知でいながら、心のどこかで希求していたことであれば、なおいい。
しかもそれが、二度とないくらいの体験であるなら言うことなしである。

そんなわけでデビュー22年目にして、初の本格的な夏休みをとることにした。
ちなみに連載原稿は五本とも終わらせた。
いまどき、旅をしながらでも原稿のやり取りができるではないか、無理に前倒しで仕事を片付けることもない、と思うむきもあろう。
ノー。
電波すらまともに届かないフルデジタルデトックスな環境こそ、感性を磨くにふさわしい。

そんなわけで。
北極に行くことにした。



ここだ。
北極海を越えて、この、北極点に立つ。
地球上最強の避暑地の一つといっていいだろう。
蒸し蒸しした梅雨時の日本から脱出する先としては最高の地に違いない。

そこは、全ての方角が南になる場所だ。
一休さん的にいう真の浄土、すなわち「みな身にある」場所の対局だ。
フェストゥム的な決戦の地だ。
そして、究極の北極出地だ。

おお、そうだとも。『天地明察』的にいう、北極出地の究極ではないか。
ならば、以前、対談の際にプレゼントして頂いた、江戸時代に作られたという、あれを持っていくべきではないか。



これだ。
重さ一キロ近くある、数百年前のコンパスだ。

こいつを持って北極点に立てば、全ての方角が南になるゆえ、針がくるくる回り続けるに違いない。
それは、渋川春海さんですら想像だにせぬ、ご明察な回転であるに違いない。

ただそれを見るためだけに。
ただ何もない光景を見るためだけに。
行こう。

いざ北極へ。
いってきます。