2015年8月19日水曜日

【本日のお知らせ】

◎星新一賞 テレビCM
https://www.youtube.com/watch?v=SHDfnwRbLXY

テクノロジーを題材とした星新一賞。第三回の審査員に、なんと押井守監督と一緒に参加しております。〆切は9月30日です。イマジネーション溢れる力作をお待ちしております。(冲方)


◎冲方サミット twitter @ubukata_summit
https://twitter.com/ubukata_summit
コミケおつかれさまでした! いよいよ今週22日(土)は冲方塾夏期講習。
今回はサミットイベント初・会場特典盛りだくさんです。
チケットはローチケさんからLコード37993 or「冲方サミット」で検索してくださいませ!

お盆明けの時期かとツッコミを受けつつも、告知・ワークショップ・特典など、盛り沢山でお届けします。ぜひご参加を(冲方)。



◎冲方サミット twitter @ubukata_summit
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【冲方作品新刊情報】
イベント直前8月20日に、実話を元に創作した33話の「泣ける」ショートストーリー集『もらい泣き』(集英社文庫)が発売です!
 
こちら、プロモーション・ムービーも製作中。その力作ぶりに狼狽えました(冲方)。
 
 
 
◎冲方サミット twitter @ubukata_summit
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【超拡散】冲方丁だけど何か質問ある?【希望】
いよいよ動き出した冲方塾、疑問も多いかと思います。
そこで皆様から「冲方塾、二次創作について」質問大募集! 頂いた質問にイベントで冲方さん自ら回答!
冲方塾のハッシュタグをつけてつぶやいて下さい。たくさんの質問お待ちしてます!
 
タイトルがもはやネタですが真面目に答えます(冲方)
 
 
【創作四方山話 ビジュアル文化と三分割法】

現代はビジュアル文化が真っ盛りです。
テレビや映画に加え、ネットの画像や動画など、「百聞は一見にしかず」とばかりに視覚情報が満ち溢れています。

必然、現代人の理解能力は、どんどん視覚による理解を重要視するようになりました。
小説も、「映像が浮かぶような」文章が歓迎され、黙読ならぬ「目読」に重きが置かれるようになっています。

ビジュアル文化が普及する以前、情報は言葉によってしか伝えられず、どんな言葉も「耳で読む」のが一般的でした。耳に心地よい、響きの良い、口にしやすい、詩的な、当意即妙な、韻を踏んだような、「黙読」に適したものが好まれました。その方が、言葉を記憶しやすく、人に伝えやすいからです。

現代では、字面がわかりやすくインパクトがあり、一見して面白みがわかり、脳裏に映像が浮かぶような、視覚情報を重視した「目読」の言葉が好まれるのです。
どんな媒体でも「目で読む技術」が不可欠で、ニュースやコマーシャル、あるいは小説ですら、これを否定することはできません。

では「目で読む技術」には、いかなるものがあるか。

その基本となる構図は、美術の世界における美と調和の研究を経てのち、映画の世界で精査されることとなりました。
そのうち広く応用されている技術が、「三分割法」です。

まず、画(絵・フレーム・像)を、縦三つ・横三つに分割します。
画は、九つのエリアに分かれます。中心となるエリアを、八つのエリアが囲んでいる状態です。
また、縦と横の四つの線によって、四つの交点の位置が明らかになります。
そして人は、この四つの交点にあるものを「重要だ」と価値づけ、そこに何があるかで、画全体を価値づけたり意味づけたりするのだそうです。




三分割法とは、なるべく、この四つの交点上に重要な要素(人の顔・目・口元・手にしたもの・建物の柱や窓・相対する存在・群衆の中心人物……等々)を配置することをいいます。

人は絵のど真ん中に視線を集中させると思いがちですが、意外にも、そうではありません。
中心点というものには動きがないからでしょう。人は静止した中心ではなく、その周辺で動くものに意識を向けるのです。

これは映画だけでなく、他の媒体でも応用されています。ニュースやコマーシャルの映像のみならず、ポスターや本の表紙などであっても人の視覚情報に訴える重要なポイントとなります。

試しに、お好きな画像を、三分割してみて下さい。
四つの交点に、何があって何が無いかで、その視覚情報がどう変わるか考えてみましょう。

調和を感じるかどうか、綺麗と思うかどうか、ダイナミックかどうか…。

ぴったりと交点上に配置されていると、人は調和と秩序を感じます。
中央のエリアに美しいものを配置し、四つの交点上に美の焦点や添え物を配置すると、美しさが増したように感じます。
交点からあえてずらし、空白を創るなどすると、ダイナミズムが生まれます。
二人の人物が互いに見つめ合う画では、それぞれの人物の目や顔を交点に配置することで、画の意図が強調され、明白な構図となります。位置をずらせば、別のニュアンスが生まれます。

好きな画の四つの交点と九つのエリアに何が配置されているかを見て取り、「何が自分の心を引き寄せたか」が見えてくれば、自分の創作に活用することができます。

その構図を参考にし、自分の感性をより良く発揮させる配置を考える。あるいは何を描きたいかを意識し、重要なものを交点上に置いたり、ずらしたりする。

それが、独自の構図作りの第一歩となるはずです。


これを基本とした画の作り方は、他にもいろいろあります。
次回から、そうしたビジュアル技術を順番にご紹介し、最終的には「どう文章に応用すればいいのか?」という問題にトライしたいと思います。

2015年8月15日土曜日

【創作四方山話 薄い本とニュース番組とコマーシャル】

薄い本、という言葉があります。もっぱら同人誌のことを指すようですが、そもそも「本を薄くする」というのは大変な技術です。
情報を限定し、極端に短い尺で何かを創作するというのは、大勢の人々による技術の蓄積がなければできないことです。
その昔、「やおい」という言葉の意味を聞いて驚いたことがあります。「やまなし・おちなし・いみなし」のことだそうで、もしかすると自虐的なニュアンスもあるのかもしれませんが、これは実は、とても高度な技術です。
盛り上がりを作らない。結末を求めない。意味づけや価値づけをしようとしない。それ以外の要素の中で特に描きたいトピックを抽出して描く。

これとまったく同じことをしているメディア(ジャンル)があります。
ニュースです。
テレビのニュース番組、ラジオ番組、新聞記事、ニュース・ブログなどは、可能な限り短い尺で、正確に情報を伝えようとします。
そのためには実際に起こった出来事や、様々な主義主張の核心となる部分のみを抽出しなければなりません。いわば徹底的に情報を煮詰め、その上澄みの部分を提供するわけです。
さらには、情報を公平に伝える上で様々なルールがあります。
勝手に山場を演出してはいけません。どういう結末になるかあらかじめ決めるのは不可能です。特定の人間や企業にとって有利になるような意味づけや価値づけをしては公平性が失われます。
これらのルールは、「人のものを扱う」という大前提のもとで築かれてきました。

ニュース・コンテンツの多くは、自身の体験を報道するわけではありません。常に、取材対象の権利やプライバシーとのせめぎ合いがあります。その点で、既存の商業作品を題材にとる二次創作とも似てくるのでしょう。

遠く広く普及したものを、身近な創作の場へと引き込む、二次創作。
世間一般からトピックを抽出し、独自の報道とする、ニュース製作。

これらは、目的の違いはさておき、非常に似ているのです。
もし「薄い本を上手に作りたい」なら、まずニュースの技術を学ぶことで、より効率よく描きたいことに焦点を当てられるようになるはずです。

ところで。
ニュースも、ときに、意図的に盛り上げを助長し、結論めいたことを告げ、意味や価値を訴えることがあると思われるでしょう。ですが、それらは本来、ニュースではありません。全て、コマーシャルの文脈です。

コマーシャル(広告)とは、物語作りの一種で、「あるものごと(商品等)の価値を高めるために、本来関係のない物語を与え、別の印象を作り出したり、もともとの意味を強めたりする」行為です。
自分のものではない題材(商品)を扱うという点では、ニュースに似ています。異なるのは、題材(商品)の価値づけに協力するという点で、創造性やオリジナリティを強く要求されます。
目の前にある事実を報道するニュース(ジャーナリズム)本来の文脈とは異なります。

ただしニュースには人の目が集まるため、そこにコマーシャルを載せることが昔から世界的な習慣となってきました。コマーシャルは、ニュースと表裏一体となりながら発展し、ニュースにはできない情報提供をしてきたといえます。文化として非常に新しく、現代で最も多く創られている物語の形といえるでしょう。
その特徴は、「端的にものごと(商品)の価値を伝える」ことです。ニュースの形態に従っているため、多くは短く、ショート・ショートのような物語作りが沢山行われています。
ときには、玩具を題材としたテレビ・シリーズなど、長期的な娯楽作品の形態をとることもありますが、本質は変わりません。あくまで「端的に商品の価値を伝える」ための物語です。

ニュースとコマーシャル。
一方は「情報を抽出して伝える」、他方は「別の物語を付与して価値づける」。
現代人にとっては無意識に刷り込まれるほど見慣れた文脈です。
そしてどちらも、自分のものではない題材を扱うという点で、二次創作と文脈が似ているのです。

二次創作は、情報を抽出するときにはニュースの技術を、自分の創作にするときにはコマーシャルの技術を使っている(使うと効率良く作れる)、というとわかりやすいでしょうか。

次回は、ニュースやコマーシャルにまつわる技術の中で、特に学びやすく、応用できるものは何か、検討してみたいと思います。

2015年8月12日水曜日


閑話休題 【本日の一冊】

最近、「仕事抜きで読んだもの」のうち特に印象に残った一冊。

帯の文言には「異色SF」とあるが、本作を「大自然の逆襲もの」とみると、非常にオーソドックスで共感を得やすいものに仕上がっていると思う。

自然の力の逆襲に直面する人類というテーマは、パニックものであれ、パンデミックものであれ、「社会の危機に個人がどう立ち向かうか」を描くことになる。
本作では、どのエピソードもしっかりとした社会や家族の描写があり、それらが登場人物の存在感となって、落ち着いた作品づくりを支えている。

四つの物語で描かれたモチーフも、それぞれ入念に選別されていて感心させられる。「喜(好奇心)」、「怒(復讐)」、「愛(哀)」「楽(平和)」と、刺激すべき感情を綺麗に網羅しており、それぞれの二転三転する葛藤と希望、そして結末を、余韻たっぷりにみせてくれる。

作者が「千手観音症候群」と名付けた自らの特異なテーマに忠実に従いつつも、身近な感情を描くことをモチーフとして選んだのは、優れたバランス力だ。

デビュー時の冲方は、その点でものすごく苦戦した。テーマもモチーフも特異なものにしてしまい、「カルピスの原液みたいなものをひたすら飲まされるのは苦痛だ、もっと薄めろ」とよく言われたのを覚えている。今でも言われることがある。

ゆいいつの不満は、タイトルとカバーの大人しさである。作品を読めばカバーの意味がわかってじんとくるし、よく言えば落ち着きがあるが、悪く言えば印象に残らない。
もっと率先してニーズを選び、強いインパクトで攻める方が、長くこの作家を応援し、成長を楽しみにしてくれるコア読者を獲得できるのではないか。
より一般層へニーズを広げるのはそれからでも遅くないし、いずれはそうすることができるに違いない描き手だと思う。

(創元SF文庫「さよならの儀式 年刊日本SF傑作選」2013年版に、本作の一編が収録されていることに、むやみとほっとさせられる。この手の作風が大好きな方々にずいぶん届いたことだろう。)

個人的には、カバー・帯の裏の方が、手に取る基準になって好みだ。


【創作四方山話 創作の距離②】 

近くへ引き込むか、遠くへ届けるか

すでに遠くまで届けられ、広く売れたテーマを、自分にとってわかりやすいモチーフに取り込み、想定内の身近なニーズに届ける、ということが、二次創作では頻繁に見られます。
いわば、「遠い場所にあるものを、だんだん自分に近い場所に引き込んでいく」わけです。

一方、自分たちに身近なテーマを、誰もがわかるモチーフで描き、なるべく遠いニーズにまで届けようするのが、商業作品の大半です。
その最たるものが、ハリウッドでしょう。「自分達の独自の文化を、非常にわかりやすくかみ砕き、どんどん遠くへ放つ」ことで、年齢も性別も問わないどころか、文化すら違う国にも広めようとする。

二次創作と商業の最大の違いが、これです。
遠いものを身近にしてゆくことと、身近なものを遠くへ届けようとすること。
アマとプロの、ベクトルの違いといってもいいかもしれません。

二次創作を楽しみながら腕を磨いたにもかかわらず、商業誌に場を移した途端、表現が硬直する理由の多くは、テーマ・モチーフ・ニーズの距離がつかめないからです。

すでに商業的に広く普及したテーマではなく、権利が主張できるようあなた自身の内にある身近なテーマを描けと言われて戸惑う。
大勢に届けるということがピンとこず、一部の人間だけが好みとするモチーフを武器としてしまう。
ニーズが遠すぎて実感できず、誰に向かって描くべきかわからなくなり、「読者がつかめない」状態になってしまう。

媒体や時代が変われば、距離感も変わります。
重要なのは、自分に最適な距離を見つけ続けること。
そしてまた、様々な距離で、それぞれ必要とされる技術を、身に着けてゆくことです。

次回からは、そうした様々な技術を検討してゆきたいと思います。


2015年8月10日月曜日

【本日の創作四方山話 創作の距離①】

さあ、作品を作ろう、というとき、何を創作のきっかけとするかで、大きく結果が変わります。

この創作のきっかけは、大まかに三つにわけるとわかりやすい。
主題(テーマ)、動機(モチーフ)、要請(ニーズ)です。
ある「ものごと」を、「どういう」材料で描き、「誰に」届けるかということです。
これらをどんな風に設定すべきかは、その人の自由です。ただ、何をどう作るにせよ、最低限、意識しておくと良いことがあります。
それら三つのきっかけと、作り手との距離感です。
この距離も、大まかに三パターンにわけるとわかりやすい。
近い、遠い、ゼロ。

近いとは、自分が見出したテーマ、自分にとって身近なモチーフ、自分が共感できる人々が抱くニーズです。自分の体験や妄想や気分といったものを扱ったり、よく知る人々に向けて描こうとすることをいいます。

遠いとは、すでに広く普及したテーマ、誰にでもわかるようなモチーフ、万人に通用する広いニーズを、創作のきっかけとすることです。

ゼロとは距離がないこと。作品そのものがテーマ・モチーフ・ニーズとなります。
あるとき訪れたインスピレーションの意味を追及することが目的で、誰が楽しむかは二の次。作品と作り手だけの対話となります。

これらは必ずしも固定されず、様々な距離感が混じり合うのが普通です。

テーマ・モチーフ・ニーズを、近い・遠い・ゼロのどれに設定するかで、作り方も、出来上がるものも、全く変わってくるのです。



2015年8月5日水曜日

【本日の創作四方山話】

そんなわけで冲方塾なる企画がスタートいたしました。
http://www.ubukata-juku.jp/

冲方自身も日々、創作とはなんぞやと試行錯誤を重ねる身ですが、そこはかとなく培われた知識や技術や感性があり、それらを人に伝えるという努力を通して、明文化しつつ自分なりの再発見をはかってゆこう、などと思います。

物語の作り方は現状、冲方にとって二通りあって、一つは「具材が決まっている」、一つは「料理法が決まっている」となり、まあ第三の「自由に書いてよ」が本来の作家業なわけですが、それは完全新作立ち上げ時に限るわけで、たいていシリーズもの全盛の昨今では前者の二通りが多いか、前者二つの制約が同時に課されている場合が大半である。

第一の具材が決まっているというのは、描かなければいけないキャラや世界が漠然と決まっているか、もう本当にふざけるなよというくらいかっちり決まっていて、まあどうにか工夫して新しいものを作ろうよ、ということになります。昨今はそういう企業的ニーズが多い。

第二の料理法が決まっているというのは、ジャンル、媒体(雑誌や番組枠)、売り出し方、作家のイメージ、映像化、キャスティングなど、もろもろすでに決まっているんだけど、そこにキャラとかストーリーとか何もないから作ろうよ、作ってよ、というもので、これも本当に多い。

現代社会はエンタメを極度にビジネス化したため、これらの制約に耐えうる書き手が求められることが多い。
そして二次創作というのは、こうしたビジネスライクな作り方を完全無視してそのつど好きなことが出来るという点で、きわめて自由かつ楽しかろうという本来的な創作行為であり、まったくもって新人育成にふさわしいのである。

が、驚くなかれ、そのままでは育成にはならない。
二次創作では、すでにあるキャラクターを用い、制約を無視して楽しく物語を作ることができる。そういう舞台で素晴らしく斬新なものを作る人もいる。だが、プロの現場で本来の持ち味を発揮できなくなることが多い。

いろいろとこちらも試行錯誤しつつ得た結論としては、とかく身に着けた技術が、違う。
舞台はあれど踊ることかなわず。踊れないのに振り付けを与えられて苦悶する。

二次創作というかアマチュアというか制約のない舞台で喜びを求める技術と、プロとして原作権すなわちオールライツを獲得する技術は、重なる部分もあるが、往々にして違う。
どちらの技術も、物作りという点では似通っている。得られる喜びも非常に似ている。だから混同されがちだ。

そんなわけで冲方塾という企画が発進してしまったからには、それらの技術の相違を把握し、示すということを試みたい。
二次創作をはじめとするライツとは無縁のゆるやかな創作。
自分が作り出したものや様々なビジネスに常に縛られつつも権利を持つというプロの創作。

どちらも否定せず、人生を豊かにするものとして、それぞれの技術を可能な範囲で伝えてゆきたいと思います。

と思いつつ、また次回(いつだよ)。


【本日のお知らせ】
冲方サミット夏期講習in秋葉原
会場 パセラリゾーツAKIBAマルチエンターテインメント3F 会場案内
日程 2015/08/22(土)
開場18:30
開演19:30
http://l-tike.com/pc/d1/AA01G04F1.do?txtEvtCd=37993&txtPerfDay=20150822&txtPerfSeq=+&venueCd=38394&srcID=AA02G08

冲方サミット・プレゼンツたる冲方塾が始動いたします!

冲方塾については下記サイトへ!(まだあちこち工事中)
http://www.ubukata-juku.jp/

『天地明察』『マルドゥック・シリーズ』『もらい泣き』を題材とした「何でもあり」の二次創作を、テキストと絵の両メディア、すなわち小説と漫画媒体にて、新人賞形式で募集。
一時的な著作権フリー状態を作ることによるお祭りと新人獲得とワークショップと未知の楽しみを求める、ガチに権限を持つ大人たちがガチに楽しみながら業界の新たな試みを存分にやってやろうという素敵な企画。
よもや年内に実現するとは思わなかったこの流れにサミット・メンバーが総出で躍り込みます。乞うご期待!