2014年7月15日火曜日

☆本日のお話・二次創作について考えた①☆

 先日(7月13日)に開催された冲方サミットにて最後のご挨拶の際に、二次創作を許容することについて、ざっとお話しさせて頂きました。
 まったくもって用意不十分であり、どれほど短くとも数年がかりになるであろう試みであるため、思案第一段としてこのブログに書いて色々と手間を省きたい所存。


【なぜ今さら考えるか】

 同人誌やマッド動画をはじめとする二次創作は、長らく黙認と放置が業界の通例であり続け、慣習的に許可された期間が長く続けば続くほど、まさかここまで関わる人間が増えるとは思わなかったという無責任を絵に描いたような状態となり、誰もあえて口出しすべきではない雰囲気が醸成され、ますます黙認と放置が成り立っているのでした。
 そこへインターネットの普及とメディアミックスの一般化が業界をごたまぜにし、様々なツールとノウハウの発展がプロとアマの境界線を曖昧にし、商品の電子化と違法ダウンロードという新たな商売と頭痛の種がいっぺんに流行したのでした。
 しかもその上、日本の出版業界は慣習上、厳密な契約を後回しにした制作と販売を常としてきたため、「あれとこれはどう違うのか」とか「なぜあれは許されてこれは許されないのか」といった線引きを半ば意図的に曖昧にしてきたので結局は全てがグレーゾーンであり、プロの作家ですら灰色の世界でものを書いているという有様なのだと、そろそろはっきり言うべき時代に来たのです。

 その端緒となったのがメディアミックスの隆盛であり、複数の異なる業界がめちゃくちゃに激突し合う商法が一般化し、まず「誰がどれほどの労力と時間と金を支払うのか」を根拠に、「誰がその管理をするのか」と、「誰がどれだけその見返りをもらうのか」を決めねばならず、業界や個人の力関係で全部決まっていた、もっぱら出版とテレビと音楽と映画の業界とついでに銀行による横暴な時代はその名残をだいぶ残しつつもどうにか過ぎ去ったらしいとみなされ、昨今では常識的かつ公正な契約が避けられないようになりました。

 当然、ここで最も重要なのは「見返りをもらう人間を限定すること」であり、「作品づくりに労力も時間も金も投入せず、広告費すら出さない上に何の権力も持っていないにもかかわらず、大事な作品を個人的な利益を得るために利用しようとする人間」を排除せねばなりません。
 そうした状況下における許可なき二次利用は、ただでさえ複雑な権利関係をさらにややこしくする上に、その発行数も売り上げも不明でまかり通っていたという馬鹿げた事態が判明したことから、この国において警察や自衛隊をも上回る最強の権限を有してはばからぬ、かの国税の本格的な介入を促すこととなりました。
 印刷所やCD製作会社のもとに地元の税務官がやって来ては、どれが同人誌やアングラものであり、どれが出版社や音楽会社のものか把握し、把握できない場合は今我々がいるお前たちの会社の方を把握するという、しごくまっとうな指導を行うなどとは、かつて夢にも思われなかった時代になったものなのです。

 また、こうした背景の一つに、日本のエンタメ・コンテンツの年間売上げ額が、日本が誇る自動車産業の三分の一に匹敵するという事態になり、政府(と国税)が本腰を入れて注目する一方、大企業やファンド商売をはじめとする大資本軍勢がエンタメ・バブルを仕掛けるようになったことがあります。
 誰もが資本主義の「来年の売り上げは今年の二倍」という大原則に忠実に従わざるをえなくなった結果、生産力が国内の需要を軽く上回るようになり、是非とも海外で売らねば全員が共倒れになりかねないという危機的状態が常態化したのでした。

 ※たとえば一年間に生産されるアニメーション作品を全て視聴するのに単純計算で三年かかるという数字を見たのが十年前のこと。今期は当時の新作本数を大いに上回るどころか最高記録を更新しかねないとのこと。

 そうした国内の膨張と海外への進出とハイタッチするかのように、契約社会の権化たるアメリカから電子書籍とオンデマンドという黒船がやって来ました。スティーヴン・キングが電子書籍で顎が落ちるようなダウンロード数を叩き出してから数年ほど遅れての到来でした。
 電子書籍が収入と呼ぶにふさわしい金額を作家にもたらしてくれるような時代はあと半世紀ほど先のことだと思われていたにもかかわらず、国内のサイトや電子書籍業界の尽力に加え、アマゾンとキンドルが完璧な仕組みを作って日本へ持ち込み、さらには携帯可能な小型端末が普及したものだから、火薬の上にガソリンをまいて爆弾を落とすように、かつてない市場がほんの数年で爆発的に形成されました。
 お互い「初めまして」の挨拶を交わすだけでも弁護士を通さねばならないたぐいの契約社会と、紙と音楽と電子を通してあらゆる領土が地続きになったため、国内の出版社までもが一斉に契約書作りに励まねばならなくなり、そもそも「原作権」にしてすなわちオールライツという考えてみれば呆気に取られるほどの全権利を有している作家というものの扱いが、そこはかとなく変わり、多分これから愕然となるほど大いに変わっていくことになるのです。

 そうした状況下において当然のことながら「違法ダウロード」という言葉は、契約を後回しにして生産性と融通を優先させてきたこの国の業界の耳はロバの耳であると叫ぶに等しい衝撃とともに、海外との信頼関係を根絶やしにしかねないほど重大な影響を及ぼすようになり、十把一絡げに逮捕者が続出してしまう馬鹿げた有様となった上にその傾向はこれから倍増するに違いないのでした。

 このような時代において何より重要なのは、「みんながきちんとすること」であり、それはつまり隣の垣根との境界線をはっきりさせることから始めねばならず、そもそも黙認と放置が慣習であったと平然と言ってしまえるこの社会の各業界においては、誰かがどこかで始めねばならない、というのがまさしくこの今この瞬間の状況であるのです。

 何をまず重要とみなすか、ということすら人それぞれであるというカオスぶりを、いっそ誰もが楽しんで傍観したくなるであろうこの状況下において、とにかく「原作者が己の権利のうち何をどこまで何者に認めるか」を定め、いったい「何のために認めるか」を明確にし、その大前提として「二次創作」と「海賊版」の違い、ダウンロード販売と投稿サイトと違法ダウンロードの違いを、根拠をもって説明すべきであり、ひいてはその全てを明文化して、最低でも制作者と販売者と消費者の共通了解とせねば、国内市場でのみ融通を利かせていた暗黙が大前提の前時代的なやり方は、いずれのきなみ壊滅するであろうという昨今なのです。

 続きは後日。