2011年12月5日月曜日

☆本日の雑想☆

今年は五作品がノミネートされた、第32回日本SF大賞、最終候補作品群。
『華竜の宮』上田早夕里
『希望』瀬名秀明
『近代日本奇想小説史 明治篇』横田順彌
『ダイナミックフィギュア』三島浩司
『魔法少女まどか☆マギカ』毎日放送

いよいよ審査は11日に近づき、ちょっと緊張気味。
実は、冲方も審査員なのである。『マルドゥック』が受賞したのは第24回なので、8年も経つと恩恵を受けるばかりでなく、しっかり責任を取らされるという次第。
とはいえ、素晴らしい力作にふれるのは至福のひとときでありました。が、、、ここで、内容とまったく関係ないところで非常にしんどい思いをしたのが、アニメ『魔法少女まどか☆マギカ』。
というのも「白箱」で送られてきたのが辛かったのです。

白箱とは、放映時の映像データを焼いたDVDのこと。スキップ不能・スポンサー用キャプション入り・CM用空白あり。正直、VHSテープ一本に6時間ダビングしてもらったほうが、よっぽど見やすい。
これがスタジオから送られてきたのならまだしも、いまどき、なぜ、メーカーが白箱を送ってくるのか意味が分からない。
DVD製品の見本では、なぜいけないのか。まさかケチったのか。

白箱で審査がしにくい理由は、主に2つ。
1つは、白箱では早送りと巻き戻ししかできないのだから、複数のシーンを確認するのがものすごく面倒くさい。審査員は別に、作品を鑑賞したいわけではない。あらゆる角度から検討する必要がある。一つのシーンの妥当性を評価するため、それ以前のシーンを逐一確認せねばならない。
批評の仕方は人それぞれで、中には一読して残った印象が全てという人もいる。自分の記憶で語るタイプだ。記憶と作品内容が食い違っても、「そういう印象を生んだ作品」ということが批評原理となる。そういう人にとっては、白箱もDVDも関係がない。

だが僕は、批評において、「バッグを落とす演出の回数」を数えるタイプの人間である。
その演出が、キャラクターやストーリーにとって非日常への以降か、決意のあらわれか、単にセリフの代わりか。必然的か、たまたまか。そういった多数の演出の積み重ねを、自分の勝手な記憶に置き換えず、片っ端から把握した上で、全体の作品性を問う。つまり「何のためだったのか」を知ろうとする。
どのような批評の仕方がベストだということはできない。だから五人も審査員がいる。
なんであれ、白箱は、僕にとって最悪中の最悪にしんどい形式だった。

もう1つは、DVD化する際に、修正や編集があったとしても、審査員は関知しないという点。
白箱は、本にたとえれば連載時の原稿であり、一冊の本にブラッシュアップする前のしろものである。
お母さんが手酌で注ぐボトルの中身が、物理法則を無視して増えたり減ったりしているように見えるシーンが、果たして修正されたのかどうか僕は知らない。
単に、制作時の意思統一がそれだけバラバラだったという事実が、評価というか感想の一単位となる。小説や漫画に比べ、集団戦であるアニメには「完成性・一貫性」の点でハンデがあり、それが克服されていないという印象につながるだろう。

むろん、荒削りだろうが破綻していようが、魅力に満ちていることが最重要であることに変わりはない。
白箱だろうがDVD製品だろうが、根本的なところで審査に影響は与えない。
与えないために、僕は、ひどく苦労させられた、というだけのことだ。

ただ、この作品を作った監督・スタッフ陣の気持ちはどうなのだろう。別段、製品版を見てもらいたいとは思わないのだろうか。
もし思う者が一人でもいるなら、「白箱」を送付することは、尽力したスタッフに対し、いささか不誠実だったのではなかろうか。
そう、手前勝手ながら、思うのである。