2011年4月19日火曜日

【みな】本日の一言【粛々と】

余震が続く中、急速な回復を継続しているライフライン。
これが日本の底力なのだと感動を覚えます。
自衛隊・警察・消防・海上保安庁の尽力と同じく、物資流通の回復維持を果たす一人一人もまた、復興の第一歩を我々に示してくれる、英雄的存在でありましょう。

にもかかわらず。
いまだ家族を自宅に戻せないまま、一人で東京・福島・北海道を行ったり来たり。
長引く原発災害は、かつてない長期戦を住民にしいており、家族が離ればなれになるケースが増える一方です。


夏もこの格好なのかなあ
 福島の小学生たちのぼやき。本屋さんにて。春の陽気にもかかわらず、頭からレインコートをすっぽりかぶり、マスクと手袋をし、ふうふう息苦しそうな様子である。「なるべく体を覆って下さい」という専門家の指示に、親は従わざるをえない。明白な危険に対処するのではなく、不確実な安全対策を延々と続けさせられることは、想像以上のストレスをもたらす。
 子供をそんな格好でしか外出させられない今の状況に、いたたまれなさを感じる。


本日の環境放射線測定値です
 ラジオの天気予報にて。もはやSFである。「風向きに注意して下さい」と言われたところでなすすべとてない。本当にその数値が正しいのか、誰が計測したのか、疑い出せばきりがない。
 

一元化と多元化
 地震・津波と、原発災害、何が最も違うのか。
 地震や津波においては情報もその意味合いも一元化されてゆく。誰も「津波は十センチまでなら安全です」とは言わない。「近くにある電信柱にしがみつけば大丈夫です」といった場当たり的な対処法を示したりしない。「津波が発生する確率が10%以下なら安心して港での仕事を続けよう」とは考えない。全て「危険だから待避して下さい」である。
 しかし原発災害においては今もバラバラで、場当たり的で、意味不明なまでに多元的だ。
 何が安全なのかもわからない。日によって状況が変わり、しかも日本と世界の専門家の意見が一致することのほうが珍しい。地震や津波の際に大活躍したツイッターやソーシャル・ネットワークも、原発災害に関しては矛盾する情報ばかりで、具体的な対策効果に乏しい。
 汚染という言葉の一人歩きも激しく、人々の気分で、状況の評価も変わってしまう。
 こうしたことに、とにかく耐えねばならない。
 こんなに疲れる災害はない。


(子供が)汚染されていないことを示す証明書を提出して下さい
 茨城県つくば市。どうやら、福島から避難した子供が、避難先の学校に転入する際に証明しなければならないらしい、とのこと。「福島の子供は放射線を出すに違いない」とでも思っているのであろうか。
 こうした、教育の現場での公序良俗軍団による見当違いな私的発砲は、いたずらに人を傷つけるだけで何の益もなく、今後ますます広まらないことを願うばかりである。
 実際にそんな馬鹿げた証明書が作成されたかどうかはわからないが、こうした風聞を耳にすると、ついつい「そんな場所に子供を避難させなくて良かった」と思ってしまうのが正直なところである。


避難? 追放だよ
 原発周辺から待避させられた人の呟き。福島市内の喫茶店にて。幸運にも震災を生き抜いた。物資流通が回復した。桜の開花に伴い、心弾む景色がようやく訪れてくれた。
 なのに自宅で住めなくなった。いつ帰れるのかもわからない。仕事はできない。農地はほったらかしだ。取引先は全て失われ、仕入れた物品全てが「汚染」扱いされて売り物にならない。
 町や村が、先の見えない空白の中に置かれる。
 原発事故の怖さは、農・漁・工・商・観光、全ての地元経済が一昼夜にして停止し、その範囲がとんでもなく拡大してゆくところにある。