2011年4月24日日曜日

☆本日のいただきもの☆

『100,000年後の安全』
http://www.uplink.co.jp/100000/

日系エンターテイメントさんを経て、UPLINKさんよりサンプルDVDをいただきました。
ありがとうございます。


これは人類社会が経験する、最も「永い物語」である。

フィンランドで建設が進められている、放射性廃棄物の永久処分場「オンカロ」。
その巨大な地下都市のごとき施設の役割は、集積された放射性廃棄物が安全になるまで、人々を遠ざけ、忘れ去られること。
その想定期間は、実に10万年。

この映画が教えてくれるのは、原子力発電というものがいったい人類にどのような課題をもたらしたか、ということだ。
原子力発電というものを真剣に考えたとして、我々にはどこまで「考える能力」があるのか?
10万年。ネアンデルタール人から、今の人類へ「世代交代」するまでと、ほぼ同程度の時間だ。
そんな巨大な時間を、現代の社会問題として扱った経験など、誰にもあるはずがない。ネアンデルタール人にまで遡ったところで、一人もいないだろう。ましてや10万年もの間、機能を保ち続けた建造物など、この地球上に存在した試しがない。
だが原子力発電によって生まれる放射性廃棄物は、我々に、想像を絶する問いかけをもたらした。

10万年後のことにまで、我々は責任を負うべきなのだろうか?

このドキュメンタリー映画に登場するのは、「YES」と答えた人々だ。そして彼らこそ、人類が今後経験するあらゆる物事の中で、「最も永い物語」に挑んだ、最初の人々になるだろう。


映画を見終わって考えさせられたのは、今の「原発反対か、賛成か」という議論が、いかに未知の問題を棚上げしているか、ということだ。
多くの人々は、数カ国、数十年といった程度のスパンでしか考えていない。僕自身もそうだ。というより、それが大半の人々にとっての限界だろう。
そして、そうした限界をあざ笑うかのように、原子力発電所の「安全」は、多くのものごとが確実であるにもかかわらず、どう対処すべきかは決まっていない。

最終処分を行わなければならない放射性廃棄物の恒久的な処分方法は、先進諸国でも決まっていないか、実施されていない。
インドや中国や中東地域といった世界中の国々が、西欧先進国と同じ電力量を消費できるようになるには、原子力発電所があと千基かそこらは必要になるらしい。そしてそうした国々の中には、戦争で原子力発電所が破壊される可能性のある地域が少なからずふくまれている。
いずれ石油と同じように、ウランも尽きるが、その後の代替エネルギーは想定されていない。放射性廃棄物を再利用する技術は存在するが、それによって生じるプルトニウムなど、核兵器に転用できる物質の問題は解決されていない。

「地層処分」というフィンランドの決定の背景には、こうした問題を「本当に考えた」とき、想像を絶する課題が待ちかまえているという事実がある。

あなたは10万年後の未来を「考える」ことができるだろうか。
10万年後の未来に、責任を持つべきだと考えるだろうか。
そして、10万年後の人類を、信頼できるだろうか。