2011年4月1日金曜日

☆本日の一言☆

なんでもええから、あたしの韓流ドラマどうしてくれんの
 BS某局にて。災害報道ばかりであることに対し、関西で今、最も多いクレームであるらしい。
 単に「温度差」「不謹慎」ととらえるむきもあるが、むしろ避難した身からすれば最も「ほっとする」一言でもある。今、必要なのは長期化する災害に耐えるための「日常」だ。被災地を離れさえすれば日常がある、ということは大いに希望になる。仕事があって学校があって娯楽があるということが、上記の一言で強く伝わる。そういう場所があるからこそ、支援も復興も可能になる。

 こうした反応こそ、日本が災害に強い証拠なのだと思わされた一言でもある。
 日本は南北に長く、東西は山脈などで隔絶し、複数の細胞が寄り集まったような国だ。ある地方が壊滅しても、他の地方はその余波を免れて生き残る。「切り離し」や「封じ込め」が可能である一方、南北に「すだれ」のように交通網が発達していることから、東西南北への移動が容易である。
 しかも、それらの異なる地域が一つの国として存続するところが、日本の不思議な「強さ」なのだと感じさせられる。諸外国においては、ある地域が壊滅すると、それに便乗して別の地域が独立し、違う国になってしまうことだって考えられる。

 西日本では、多くの人々が自然と「切り離し」を行い、物理的・精神的な衝撃を受けないような姿勢をとっているのではないか。
 無関心が度を超さない限り、それは賢明な姿勢である。今後の復興の主体は東日本だが、下支えとなるのは西日本だ。今、西日本があらゆる面で無傷であろうとし、日常的な生活を保とうとすることは、重要だと思う。

 とはいえ、一時期まことしやかにウワサされた西日本への被災者の大規模な移動が、国や県同士で計画されているという話が聞こえてこない。災害の余波は食い止めるべきだが、今緊急に避難を必要としている人間を食い止めてしまっては日本の強さもへったくれもない。


原発の人たち、クッキーと野菜ジュースだけで働かされてる
 福島の看護士。日に日に改善されているらしいが、労働環境は過酷だ。福島第一原発の現場では、眠るのは建物の床、着替えはなし、飲食は限られた配給。衣食住のない、戦場さながらだ。長期化すると判断された時点で、機材や燃料だけでなく、まず人間が必要とする物資も届けるべきだろう。「もし体力が弱った彼ら同士、病気を感染し合うような状況になったらどうするんだろう」とのこと。


噴火だと思え
 消防士。原発事故の前例がなく、市民の側が危険をイメージしにくいことから、最も似ている災害として「火山の噴火」をたとえに挙げて避難や復興の計画をスムーズにすべきだ、という提言。人の健康や農作物、土壌や水質の汚染といった被害も、火山灰による広域・長期の被害をイメージするとわかりやすい。ベクレルもセシウムも、共通イメージがないことには、意味が浮かんでこない。
 「未知」かつ「不可視」であることによるストレスを緩和する上でも、意外に、効果的かも知れない。


復興のモデルになると思う。良くも悪くも
 記者。 北海道がこれまで経験してきた津波被害と、その後の復興が、東北関東大震災後の復興の最もわかりやすいモデルになるだろうということについて。

 「良い」ところはもちろん取り入れるべきだが、「悪い」面も学ぶべきだろう。

 復興時に巨大なコンクリートの防波堤で島を囲んだことから、まるで中世ヨーロッパの要塞のような景観を呈している場所もあるという。それまでの自然の景観とはかけ離れており、安全面を重視しすぎた結果、生活面・観光面での課題が強く浮かび上がった。

 また、「災害補償」によって多くの家屋が再建されたが、その後、「固定資産税の増大」に直面し、結果的に住むことができなくなって過疎化してしまった町もある。店舗なども同じく補償によって「立派な」建物が建設されたが、「固定資産税の増大」に加え、「客の減少」によって経済的に苦しくなってしまった。

 さらに「復興特需」を当て込んでの、悪質な建築業者の斡旋、企業と町の談合、賄賂等もあり、復興を指導する立場の人間が、賄賂などの罪に問われた局面もあった。

 再建はなされるべきだが、「再建後」のビジョンがないままではいけない。
 復興はなされても維持することが難しく、発展の道が狭まる場合がある。