2011年3月31日木曜日

☆本日のお知らせ☆


冲方丁原作「スプライトシュピーゲル」アワーズでマンガ化
http://natalie.mu/comic/news/47051
 こちらも気づけば発表。
 出版業界も数々の打撃を受けながらも全力で前進中。
 大いに励まされます。がんばれ。がんばろう。


☆本日の一言☆

原発が人類最後の「火」ではないという希望を持つべきだ
 冲方。原子力擁護および脱原発を巡る是非について。
 短期的な脱原発は現実的に不可能だ。今や原発ビジネスは国際的なメインストリームであるという政治的・経済的な判断は脇に置いても、様々な問題に直面するからである。
 まず、いったん建造してしまった原子力発電所を稼働停止させても、かえって安全性が損なわれるという問題がある。また、廃炉を選択したとしても施設を完全に除染・解体するには、一基だけで50年もの作業時間が必要になるという。コンクリートで覆う「石棺」は比較的容易とはいえ、稼働中の50基以上もの施設を同時に廃炉処分にすることは考えにくい。電力確保という問題とは別に、原発は「一度建てたら容易に捨てられない建造物」であることが問題となる。
 大切なのは、こうした「今どうである」ということにとらわれて議論を空転させてはならないということだ。あたかも原子力発電が人類最後でありゆいいつの発電技術であるかのように考える必要はない。求められるのは「原発以上」の優れた発電技術である。
 政府は、今後何十年かは原発に頼ることになる代わり、新エネルギー開発に力を注ぐことを決め、国民に対し「永遠にリスクを背負い続けるわけではない」ことを明言すべきだ。
 原発の数は、国内外で今後とも増えていくだろう。「フクシマ」が最後の原発事故になるとは、誰にも断言できない。国民がそのリスクを正しく知り、新たなエネルギー開発に強い興味を示すことこそ、50年後の新メインストリームの萌芽となる。
 かつて18世紀ヨーロッパでは、大地震による教会の崩落といった事件がきっかけとなって、神が与えた世界の受容という考え方から、大自然を理解し、克服するという考え方へと変わっていったという。そうして今の自然科学思想の原点が築かれたのと同じように、僕たちもまた政治・経済・文化のあらゆる側面から、新たな原点の構築をはかることで、初めて「災後世代」を考えることができるだろう。


よかったです。やっと会えました
 福島県沿岸地域・被災者。地域住民が中心となった捜索活動で、娘の遺体を発見したことについて。「あとは、お母さんとお兄ちゃんだなって、(娘に)話しかけたりしてね」と家族の捜索を続けることを誓ったという。
 原発事故による屋内待避を受けて、福島県の沿岸部などでは捜索が停滞しており、警察や自衛隊、消防隊などが活動しているのかどうかも不明なことが多い。そのため地元住民が自主的に捜索を始めているが、重機がなくガレキが撤去できず、溜まった海水の排出なども行われていないため、難航している。新聞社の報道によれば、今も1900人余の行方不明者の捜索が行われていない。捜索届けが出されていない者をふくめるとその数は数千人にのぼる可能性があるという。
 支援物資も届かぬ地域があり、ようやく復旧のめどがついた東北新幹線でさえ福島市への開通は最も遅れる予定だ。今や当地に施される支援は、原発事故の影響を受けなかった他の被災地に比べ、雲泥の差を呈しつつある。
 

○「戻りたい」「戻ってどうする」
 避難者。福島から移動したものの、交通網の復旧に伴い、当地に戻って何かしなければという気持ちに襲われる者が多い。「被災地に物資を運ぶのではなく、被災者を被災地から出す」ことを主張する冲方も、当然のごとく、心の中では「戻りたい」一心になっている。
 だが、まだ多くの地域が復興以前の「救援」の段階だ。戻ったところで、ただ当地の電気・水・食料を消費し、経済活動が停止した人間を一人増やすだけになる。本当に物資が必要な地域の目の前で、いたずらに物資を消費してしまう。 
 少なくとも、あと数日は待たねばならない。まずはしっかりと県外で体勢を整えて、確実な支援が可能になるよう、新しい生活を手に入れるべきだ。
 理性で感情を抑えつけるのは、本当に苦しい。
 苦しい中で、おのおのが仕事をする。執筆に集中する。試練のときである。