2011年3月24日木曜日

☆本日の一言☆

ぶっ書いた!
 冲方。書けました! 『光圀伝』第4話、約140枚! 今晩中にゲラ作業だ。あらゆるフォローをして下さった編集さんに感謝です! 震災に負けるな! 水もガソリンもなく家を追い出された怒りは全部原稿にぶつける! 今こそ気力をみなぎらせろ!


FUKUSHIMA 50
http://ja.wikipedia.org/wiki/Fukushima_50
http://media.yucasee.jp/posts/index/7009
 放水を敢行した消防隊員のようなわかりやすい活躍の絵はありません。しかし、今最も危険な場所から撤退せず、国と電力会社のツケを一身に背負って尽力している人たちではないでしょうか。
 その「FACELESS」な無名の英雄たちを、平和になったら絶対に書きたい。小説でもなんでもいい。文字にして二十年後の子供に読ませたい。そう思わされました。


やっぱり天罰だと思う
 石原慎太郎。
 「@asahi_kantei 朝日新聞官邸クラブ
副長官番A)節電の要請に訪れた蓮舫・節電啓発担当相と会談した石原都知事。会談後に「震災への日本国民の対応をどう評価するか」と質問したところ、石原さんは「日本人のアイデンティティーは我欲。この津波をうまく利用して我欲を1回洗い落とす必要がある。やっぱり天罰だと思う」と述べました」

 色々な意味で唖然となった一言。
 何より、かつて彼が都知事選に初出馬した頃のキレがまったく見られない。
 マスメディアは最も簡明な「一言」に焦点を当て、視聴者はその要点を受け取る。前後でいかに異なる文脈が存在しようと、ある一瞬だけが切り出されて世に広まる。たとえ「差別をなくそう」、という趣旨であったとしても、実際に差別主義者の文言を引用しただけで、全体が非難されるべき対象になる。それゆえ「放送コード」があることを、この上なく熟知している政治家だったはずである。
 マスメディアの力学を知り尽くし、ぎりぎりの「暴言」を駆使する。衆目を集め、「対立」や「対立する可能性のある話題」について苛烈な発言をして火に油を注ぎ、誰の目にも対立をはっきりさせたところで、多数者側もしくは有力者側を巧みに擁護し、支持を確保する
 言論を用いた支持者層拡大の見事さに、十年前は、大いに感嘆させられたものである。
 今は、一般市民の目線を忘れた「ズレ」が目立ちすぎる。特定の政治家や市民団体や富裕層の存在ばかり前提にしすぎていて、ごく一般的な解釈をする市民の感覚に訴える発言がなさすぎる。
 その後の謝罪も、消防隊員へのお涙つきコメントも、いかにもイメージ挽回の印象が強い。何より石原都知事自身が、全然乗り気になっていない。彼に影響力を発揮できる人物たちの要請や命令でやむなくやっているというのが伝わってくる。「キレ」があった頃の彼には考えられないことである。
 これでは過去何人もの「すげかえ首相」と同様の、その場しのぎの人気看板登壇と何も変わらない。
 「自己実現」を目指して政治家になった一作家の老境にして最後の見せ場。もう少し、希望を抱かせて欲しいが、最近はだいぶ諦めの気持ちが強い。


青少年保護条例は天下り先を作るためにどうしても必要だった
 関係者。いつの間にか、公然の秘密のように流布されるようになった一言。
 警視庁をふくむ人員配置のための機関設置を目的とした条例であり、要は天下り機関を作る必要に迫られていたのだという。
 真実か否か定かではないが、「青少年保護」のためのメディア検査機関が取り沙汰されるなど、あからさまに本当っぽい動きが見られるようになってきて、だんだんげんなりしてきた。
 原子炉の検査機関に、穀物関税の仕事をしていた人が、天下りとして平然と配置されたりする。専門知識が皆無のままハンコを押すだけの検査官がぞろぞろいる。だんだんと、 「検査官」すなわち「天下り」であり、「素人」である、という印象さえ持つようになってくる。
 公務員も人の子、家族の主。仕事を手に入れ、大いに稼がないといけないのはわかる。だが大丈夫なのか、そんな国で。単純にそう思う。