2010年12月5日日曜日

【年末進行】本日のお知らせ【地獄の蓋が開いた】


『天地明察』映画化決定!
 朝日新聞の広告欄にて角川書店より映画化決定が解禁。
 詳細なアナウンスにつきましては、角川書店や関係各社、ともに強烈な熱意をこめて準備中であります。どうぞ今しばらくお待ち下さいますようお願い申し上げます――と言いつつ、キャスト予想大会など早くも盛り上がっている関係者・書店様などとともに、作者も「元原作者」として、制作現場に対し粉骨砕身の協力を惜しみません。素晴らしい作品を御覧になっていただけるよう尽力する所存です。
 

『光國伝』連載開始!
 今月号・来月号の野性時代誌上にて、ようやくの連載開始となります。
 連載はいわば最初稿であり、出版時に行わねばならないであろう膨大な加筆修正を思うと気を失いそうです。正直なところ、ここまでハードルの高い題材であったかと茫然自失せぬだけで精一杯ですが、全力で蟷螂の斧を振りかざす覚悟でございます。


東京都「青少年の健全な育成に関する条例」改正案に反対します
 十分な議論が行われている限り、可否を公言する気はさらさらなかったのですが、このところ明言を求められることが多くなってきたため、下記に冲方丁の基本的な態度と、今後の議論への期待を掲載させていただきます。

 ○基本的な態度
1)現在、冲方丁が関与している全コンテンツは、これまでの業界の自主規制ならびに、今回の条例改正案に伴うポイントを参照する限りにおいては、制作陣はいささかも萎縮する必要はなく、これまで通りに掲載・上映・販売・頒布されることを確信しております。

2)今回の条例改正案の焦点は、「子供に見せるべきでないものを、子供に見せない・買わせないようにする」ということにあると理解しております。 理解のおおもとは下記です。
 ・改正案の質問と回答
 http://www.metro.tokyo.jp/INET/OSHIRASE/2010/04/20k4q500.htm
 ・改正案のポイント
 http://www.seisyounen-chian.metro.tokyo.jp/seisyounen/pdf/pointo1.pdf
 ・条例
 http://www.seisyounen-chian.metro.tokyo.jp/seisyounen/pdf/08_jyourei/08_p1.pdf


3)以上の回答のうち、主に『東京都青少年の健全な育成に関する条例改正案のポイント』から幾つかの点を以下に引用します。
 ・「東京都が不健全図書として指定する」
 ・「指定された図書は『成人コーナー』への移動を販売者に義務づける」
 ・「区分陳列し、青少年に売らないだけで、漫画等を作ること、出版すること、大人(18歳以上)が読むことは一切規制しない」
 ・「単なる子供の裸や入浴シーンが該当する余地はありません」
 ・「単なるベッドシーンや、主人公が性的虐待を受けた体験の描写がストーリー上含まれるだけで対象とされることはありません」
 ・「「青少年への強姦や近親相姦などの性行為を、さも楽しいこと、普通のこととして描写するような悪質な漫画」については、性的判断能力が未熟な青少年が、そうした悪質な漫画を読んだ場合、そういった性行為への「誘い」に対し、抵抗感が薄れたり、真似をして自ら実践に移してしまう恐れがあるため、青少年への販売を制限しようとするもの」である。

4)上記に関し、特に反対する理由はありません。
 業界がこれまで努力してきた自主規制となんら変わりません。しかしこうした正しい理念が、現実と噛み合わず、行政指導が功を奏さない現場について、まだ十分な意見収集や議論が行われているとも思えません。
 よって、さらに現実的な議論が行われることを期待して、現行の条例改正には大いに反対するところです。

5)期待される議論は、主に下記の点です。


I)販売現場に考慮した、現実的な議論および都からの回答がありません。
 青少年に「見せない・売らない」」ことを目的とし、「成人コーナー」に区分陳列することについて、現場の書店や映画館その他店舗に対し、いかなる行政指導がなされるべきか、なされるべきでないかについて、議論そのものが十分になされておりません。
 特に『東京都青少年の健全な育成に関する条例改正案のポイント』では、条例にもとづいた販売指導の在り方全般が不明です。単に棚などに『成人コーナー』と表示すれば足りるのか、それとも店舗によっては敷地面積上、到底不可能なほど視覚的に遮蔽されねばならないのか、あるいは入場そのものを規制しうる人的措置を講じねばならないのか。もしくはコンビニエンスストアやキヨスクなど、視覚的な遮蔽が難しい場合、客には手の届かない販売レジの後方などに商品を陳列し、購入者がタイトルを読み上げることで店員に購入を告げねばならなくなるのか、といった販売上の厳しい規制が伴うのかどうかがわかりません。
 もし『成人コーナー』そのものの視覚的な遮蔽、入場規制、閲覧の禁止といった義務が、過度に厳格な行政指導のもとで監視されることになった場合、店舗側が負担を嫌って商品の販売を忌避し、その結果、都の回答である「作ること、出版すること、大人が読むことは一切規制しない」ことにはならず、実質的には禁書措置に等しい効力を発揮するということが、まず危惧されるべき第一の点です。
 そして逆に、『成人コーナー』による利益に頼る店舗においては、規制による負担が義務づけられた場合、むしろ『成人コーナー』が拡大するという点が、議論されておりません。
 そうした店舗は、『成人コーナー』によって、むしろそれらとは異なる「本来売りたいけれどあまり売れない書籍」を売ることが、ようやく可能となっております。
 限られた敷地面積や人員を活用するしかない店舗の場合、『成人コーナー』の規制が厳格化されることで容易に想像されるのは、むしろ本来一般書籍が置かれているコーナーを撤廃してしまうことです。店舗を丸ごと『成人向け』とし、そもそも青少年が立ち入れないようにしてしまうことで利益を確保するといった、現実的な選択をせざるをえない店舗の出現がいっそう顕著になるでしょう。むしろ成人向け作品を忌避する店舗が増えれば増えるほど、成人向け店舗の価値も高まります。
 そうした成人向け店舗がますます増えることで、結局は成人向け商品が青少年の目に触れる機会を増やしてしまうということが、危惧されるべき第二の点です。
 よって何より現実的に考えねばならないのは、「販売現場の負担」です。
 また、この十年間、明らかに成人向け作品が急増するとともに、本来青少年を対象としている書籍群までもがむしろ成人向けジャンルを志向しつつある背景には、「表現の問題」とは異なる、そうせざるをえない出版界の経済的な苦衷と、コンテンツがもたらす(最も簡単な刺激である)性的興奮によって低調経済における生活苦を紛らわそうとする人々が急増しているという側面があります。
 そうした現実を無視した規制は、結果的にいっそう粗悪で短絡的な、すなわち「制作する上で時間も金もかからず、しかも高く売れる」成人向け作品の価値を高め、おびただしい蔓延を招くでしょう。のみならず成人向け作品に、「反骨的」だの「社会批判的」だのといった付加価値を与えてしまい、その社会的・金銭的価値を向上させてしまうことになるでしょう。
 そして厳しい店舗状況にあっては、むしろより歓迎すべき商品とされ、悪書を駆逐しようとするあまり、逆に良書を駆逐してしまうであろうことは、これまでの出版界の状況や、ポルノ作品の歴史を振り返れば、容易に想像できることです。
 よって、今後の議論においてはむしろ、「『成人コーナー』の正当かつ潤滑な販売の在り方」が求められるべきでしょう。「成人であれば、いつでも誰でもどこでも、どんな品物でも手に入る」ということを保証することでしか、粗悪な成人向け作品の価値をいたずらに高めず、その蔓延を抑止し、その社会的・金銭的価値を正当に維持または低下させ、ひいては青少年による入手を予防することは期待できないでしょう。
 出版界の実情、現代的ニーズ、販売所の限られた敷地面積や店員数、その他多くの負担を抱える販売現場の現実に考慮した議論を求めます。


II)上記に関連し、行政の規制によって、むしろ業界の自主規制が効果を発揮しえないような違法性を希少価値とする「アンダーグラウンド」な制作集団や流通経路の形成を助長する危険性について、議論そのものが十分になされておりません。
 特に、出版界の苦衷や店舗の現実的状況と、今回の規制内容が噛み合わない場合や、青少年自身が制作・頒布・販売に関与する場合、それらの形成は容易に想像されます。
 そうした違法性を「売り」とする諸般の形成に対し、「正当な理由」(報道発表資料2010年4月『東京都青少年の健全な育成に関する条例改正案 質問回答集 10』)とは異なるということが「万人にも理解できる区別」にもとづいた、効果的な抑止はいかにして可能であるか、厳密な議論を求めます。
 

III)「青少年自身が、青少年にふさわしくないものを制作・頒布・販売すること」について、それらをいかにして正当な労働もしくは自己実現的行為として位置づけるか、あるいは禁止すべき不当な行為として位置づけるかが、これまでの議論においてきわめて不明です。「作ること、出版すること、大人が読むことは一切規制しない」としつつも、十八歳未満の少年少女が、大人が読むことを前提として、自ら制作する、もしくは自らを題材・被写体にする可能性について、ほとんど議論がなされておりません。
 特に、規制によって生じる保護者の安心感や忌避感、あるいは規制によってむしろ対象商品の金銭的価値が向上してしまうといった状況が混在することで、一方では保護者がより青少年に対し関心を払わなくなり、他方では青少年自身がより「金銭的価値がある自分たち」を自覚するといった、一時期「援助交際」などにおいて顕著となった危険性がまったく考慮されておりません。
 こうした、保護者が介在しなくなり、他ならぬ青少年自身を罰さねばならないような状況に関する議論の空白は、たやすく想定外の状況を招き、むしろ保護すべき青少年を、保護も罰則も届かぬ状況へ誘導する危険性があることについて、青少年自身の意見や実情も汲み取るといった、過去の反省を活かした、より年齢を問わない啓蒙的な議論を求めます。